福岡とは?/ ディック
[ 1568] 福岡市 - Wikipedia
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このページは荒らしを理由として方針に基づき、新規ユーザーおよび未登録 (IP) ユーザーによる編集が禁止されています。 福岡市(ふくおかし)は、九州の北部、福岡県の西部に位置する市である。福岡県の県庁所在地であり、政令指定都市となっている。 人口約142万人(2007年現在)を抱えており、名実共に九州第一の都市である。商業都市としての性格が強く、古くから商業がたいへん栄えている都市で、多くの官公庁の機関や全国企業の支社などが置かれている(例外的に、農林水産省などの一部の官公庁の機関は地理的に九州の中央付近である熊本市に所在する)。東京特別区を含む都市の人口では全国で8位であり、また福岡市周辺には都市雇用圏人口で全国第5位の規模を持つ福岡都市圏を形成する。百貨店、大型ファッションビル、地下街などがある天神が商業の中心地区であり、1990年代からは大名など天神の周辺地区にも多くの店舗が進出している。また、天神の東方にキャナルシティ博多、博多リバレイン、川端通商店街などがある川端という繁華街もある。その集客力は広域に及び、佐賀県・長崎県・大分県・熊本県・山口県などが商圏に含まれていると言われている。さらに夜の街では全国的に有名かつ歓楽街の規模も指折りに入る中洲があり、中洲以外にも博多区に雑餉隈という歓楽街がある。ビジネスの中心エリアは天神地区よりも博多部の博多駅周辺や祗園駅周辺に集積しており、大博通り沿いには多くのオフィスが立ち並んでいる。 福岡市は天神・博多駅周辺の都心部を中心として西に西新地区、東に香椎地区、南に大橋地区の3地区をそれぞれ副都心として位置付けており、特に西新や香椎は小規模な繁華街を形成しており、さらに多数の学校や大学が位置し活気ある街として発展している。この副都心群は住環境に優れ、都心部へのアクセスが良いとして住民も増加傾向にある。なお、福岡市は人口100人あたりの学生数が6.47人で、これは日本の大都市では京都市についで2番目に多い[1]。 福岡市以外の地域の人は福岡市の事を指して「博多(はかた)」と呼ぶことがある。これは、中世より現在の博多区西北部にあった街が「博多」という名前で認識されていたことや、山陽新幹線の終着駅が「博多駅」であり、ビジネスでも福岡へ出張することを「博多に行く」と呼んでいた程、博多という名前が浸透していたからである。「福岡」は江戸時代に現在の中央区に福岡城を築いた際にその城下町を「福岡」と名づけたのが由来である。歴史的にも、明治22-23年に福岡市にするか博多市にするか、議会で議論されていたくらいである。又、福岡と博多をあわせて「福博」と呼ばれることもある。 九州の北部、日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部で博多湾口付近の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。 市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。 市街地の海岸部は大半が埋立地であり、港湾・住宅などが建設されている。また、博多湾東部には人工島も建設されている。一方、西区の大部分や東区海の中道と島嶼部などには自然海岸も残っている。 市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などがあるが、一級河川はない。 長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。 地形や海流が複雑に影響しあい、温暖で夏期において多雨な太平洋側気候の一面を見せつつ、冬場においては日本海側気候の一面も見せる二面的な気候が特徴である。年平均気温は概ね17℃前後、年間降水量は概ね1500〜2000mm程度で推移している。 夏期は最高でも36℃に達することは少なく、九州の他地域と比べると極端な猛暑とはなりにくい。ただし、都市化によるヒートアイランド現象により周辺部より気温が高い場合がある。冬期は北側の玄界灘を流れる暖流である対馬海流の影響を受けるので、平野部においては最高気温が零下となることは少ないが、北西季節風の影響を受けるため曇天の日が多い日本海側気候の特徴を見せる。 市の中央部にある天神地区(中央区)が市の中心部で、ここには数多くのデパートやビルが建ち並んでいる。天神から那珂川を挟んだ東隣には那珂川の本流と支流に挟まれた中州地形部分があるが、そこが九州最大の歓楽街である中洲である。そのさらに東隣は「博多」の市街地である。その博多市街地の南東に博多駅が位置している。中洲から博多駅の間の一帯はオフィスビルやビジネスホテルなどが建ち並ぶビジネス街である。天神地区の西および西南に位置する大名、今泉、警固では、1990年代後半ごろから主に若者をターゲットとした店舗が増え、若者の町として急速に発展している。 大名から西へ行くと福岡城跡がある。さらに西方、天神から約4kmの位置には、福岡市の副都心を成す繁華街の西新(早良区)がある。西新の北側は1980年代に埋立により開発された土地で、シーサイドももちと呼ばれ、新しい市街地が形成されている。 市域東部の博多湾沖にはアイランドシティ(東区)と呼ばれる人工島が建設されている。現在は港湾地区の一部と住宅地の一部が竣工している。将来は宅地開発による発展が期待されている。 このほか、香椎駅・西鉄香椎駅周辺の香椎地区(東区)や、福岡市地下鉄姪浜駅周辺の姪浜地区(西区)、西鉄大橋駅周辺の大橋地区(南区)にも商業地が発達している。 都市名は「福岡」であるが、中央駅名は「博多」を称する。「福岡」を称する駅は、西鉄天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅がある。また、福岡を称する駅として当市外では富山県高岡市(旧西礪波郡福岡町)にJR西日本北陸本線の福岡駅がある。 福岡は福岡藩黒田氏の武家町、博多は商人町として栄えた歴史があり、那珂川を境として元々は別々の都市であった。市制施行の際に一悶着があったが、都市名を福岡、中央駅名を博多にすることで合意(詳しくは歴史で後述)。新幹線開通時は博多が玄関口となり、博多の知名度が大きく上回ったが、今日では城下町のはずれに位置した天神地区の台頭もあり、かつての「福岡」が商業の街、「博多」がビジネス街となった。こうしたことから「博多」より「福岡」という名称で呼ばれることが多くなり、博多は都市内の一地区名でしか用いられないことが多くなった。 隣接市町のうち、福岡県にある市町は、いずれも福岡市のベッドタウンとして発達している。しかし、佐賀県にある市町は、福岡市とは脊振山地によって隔てられており、ベッドタウンとして発展するには至っていない。 2005年10月1日に佐賀県内の佐賀市と佐賀郡諸富町・大和町・富士町・神埼郡三瀬村が合併し、新市制による佐賀市が誕生したことで、県境を挟んで県庁所在地同士が接することになった。 海を挟んだ長崎県壱岐市・対馬市とも隣接扱いされる事もある。実際、電話料金は離島特例として隣接扱いである。 紀元前4世紀には日本初の稲作が始まり、市内の板付遺跡(博多区)にはその跡が残る。また志賀島(東区)で発見された金印「倭奴国王印」は、1世紀頃の大陸文化との交流を示す貴重な資料である。後漢書東夷伝にある「建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」の記事がそれであり、これは日本と日本人について文字で書かれた最初の記録である。 ちなみにこの「中国に朝貢していた」という記録が金印の発見時にひとつの騒動を起こす。天明4年(1784年)に百姓甚兵衛により金印が発見されたとき、主として国学系の学者たちが「中国に朝貢していたとはけしからん。このようなものは鋳つぶしてしまうべきである」と強硬に主張し、一時、福岡藩の藩論もそちらに傾くのである。それを、藩校・甘棠館の学長をしていた儒学者亀井南冥が身体を張って阻止したという。 663年、百済再興を目論んで派遣した倭国軍が、白村江の戦いにて唐、新羅軍に大敗北を喫する。唐、新羅連合軍の報復に備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸に防人を配し、水城、大野城などの城砦を築く。これより後、全国から徴発された若者が防人として北部九州に配備され、故郷を遠く離れて軍務に就く辛さと哀しみを詠い、万葉集に残されている。 史実であるかどうかは定かではないが、神功皇后の三韓征伐伝説がこの地には多く残る。東区香椎の香椎宮は、神功皇后が夫である仲哀天皇の神霊を祀ったところである。 7世紀から11世紀にかけては、国際交流が盛んになり、665年には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後に大宰府の迎賓館となる鴻臚館(こうろかん)となった。外国からの使節の接待、遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能に加えて、貿易事務所的な役割も果たしていたらしい。鴻臚館遺跡は昭和63年に当時の平和台野球場の外野席の土盛りの下から発見され、市民を驚かせたのだが、奈良時代は目の前が海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟で上陸した。 なお、遣唐使廃止の建白を行った菅原道真が901年に大宰府に左遷されたとき、博多に上陸し、四十川(よんじっかわ)の清流を水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。その地に建立されたのが水鏡天満宮(すいきょう・てんまんぐう)(水鏡天神)であり、福岡市の都心・天神の地名は、この事に由来する。 1161年には平清盛により日本初の人工港「袖の湊」が建設された。これは埋め立てにより埠頭を築いたもので、それだけの投資に見合う実需があったと考えられる。天神・博多部はまだ海の底であり、整備された港湾の沿岸部には筥崎宮、住吉神社、櫛田神社などの大きな寺社が立地していた。中世の寺社は、貿易の重要な出資者であり、博多の冒険商人たちのスポンサーであった。 11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる中国人街が形成された。異国風の建物が建ち並び、多数の外国人商人が行き交う国際都市であった。この時代に博多で活躍した中国人商人に謝国明がいる。宋の時代(日本では平安後期〜鎌倉時代)、中国大陸と博多を船団を組んで盛んに往来し、日中貿易で巨万の富を築いた中国人商人は、博多に居住して活発な商業活動を行い、博多の寺院とも結び、その力は中央にも及んで特に「博多綱首」と称されるに至った(「綱首」とは「船長」の意の尊称)。 国際都市・博多は先進文化の受け入れ窓口でもあった。1195年 栄西が博多に日本初の禅寺である聖福寺を開いたが、このときも博多綱首らが物心両面の援助をしている。栄西禅師は、中国からお茶を持ち帰り喫茶の習慣を日本中に広めたことでも知られるが、「饅頭(まんじゅう)」「饂飩(うどん)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。 しかしその反面、他国から侵略の被害にも遭っており、869年には新羅海賊が博多湾に侵入、1019年には刀伊の入寇があり、博多は常に対外的な脅威に曝されていた。その最大の脅威は、宋を滅ぼしてユーラシア大陸のほとんどを支配したモンゴルから来た。 高麗を屈服させた大元帝国のクビライが日本の服属を求め、鎌倉幕府がこれを拒否したことから、1274年、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人などからなる3万人の元軍が襲来した(文永の役)。10月5日に対馬、10月14日に壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させた元軍は、元軍は10月19日には博多湾に現れ、湾西端の今津に停泊し一部兵力を上陸させた。 10月20日(太陽暦では11月25日)、船団は東に進み百道原つづいて博多、箱崎に上陸し、激しい地上戦が展開された。これは、日本が開国以来初めて経験した「日本本土における外国軍との交戦」である。御家人との戦いで矢を失った元軍は撤退する。 このときの経験を踏まえて幕府は博多湾岸に約20Kmにも及ぶ防塁を築いた。この史跡「元寇防塁」は現代にも残っている。そして、1281年に元軍が14万もの大軍で押し寄せてきたが、防塁で防衛力を固めた御家人はは撃退に成功する(弘安の役)。 そして博多湾上に浮かんだ元軍の船団に大暴風雨が襲いかかった。船団は海の藻屑となり、この大暴風雨は神仏の加護であるとして、神風伝説が発生することとなった。この日本を震撼させ鎌倉幕府衰亡のきっかけとなった二度の戦役を元寇と呼ぶが、元寇の恐怖の記憶は長く北部九州の民衆の中に語り継がれた。 ごく最近まで、玄界灘沿岸地方では、むずがる子どもに対して「ムクリコクリが来るぞ!」と脅していたという。ムクリ=蒙古、コクリ=高麗である。千年の時を閲してなお、恐怖の記憶は引き継がれていた。 また室町時代を通じて博多は堺と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、堺と異なって防備することができず、まちは戦火で焼け、ほとんど廃墟となった。 1587年からは九州をすべて服属させた豊臣秀吉により博多の復興がなされた。これを太閤町割と呼ぶ。交易の自由や、町人による街の自治が行われ、新たな自治都市が確立された。なお当時の博多とは、博多湾南岸の東西に渡る地域を指したものだった。このときの秀吉の意図には、文禄・慶長の役で出兵を行うにあたり、貿易都市・博多を物流の補給基地として活用しようというものがあったと思われる。 関ヶ原の合戦の後の1600年に黒田如水、黒田長政親子が筑前国に入国し、その後市内中心部の那珂川から東を博多、西を福岡と呼び、そのまま定着した。黒田親子は、小早川秀秋の居城であった名島城(東区)に入城したが、名島城は博多湾に面した小高い丘の上にあるために城下町が作れなかった。そこで1601年から当時の警固村(現・中央区)福崎に新たな城・福岡城と城下町をつくった。 その際、出身地の備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来して、城下町を福岡と命名した。黒田藩は博多のまちの自治を広く認めたため、町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡が機能分担しつつ隣接するという、全国的にあまり類例のない「双子都市」が誕生した。 なお、歓楽街として有名な中洲は、博多と福岡の境界である那珂川の中州に江戸期に発達した。どちらにも属しているようで、どちらにも属さないという曖昧性が「悪所」としての歓楽街の発展に有利であったと考えられる。 江戸期を通じて福岡にはあまり華やかな歴史は残っていない。これは、鎖国政策により貿易都市としての機能を天領であった長崎(対西欧・中国貿易)と対馬府中藩(対朝鮮貿易)にすべて奪われたことが大きい。 なお、前述のとおり、天明4年(1784)に志賀島で金印が発見されている。まったくの偶然であるがこの同じ年、現福岡県立修猷館高等学校の前身である藩校修猷館(東学問稽古所)が開設されている。 その後、江戸時代から明治時代初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域区分とした。さらに1878年、郡区町村編制法の施行により福博が福岡区に改称され、「博多」を名乗る自治体は消滅した。 1889年に市町村制度の施行に伴い福岡区が市制を施行する際、市名を「博多市」にする、或いは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったという。第1回市議会は「名称問題」で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、最終的に福岡部出身の議長の裁決で「福岡」と決したものである。 明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。そのためちょうど同じ頃、当時の九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市から現在の久留米市までの鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。 なお「福岡駅」の名は、福岡市中央区天神に位置する西鉄の駅が名乗り、2001年には西鉄福岡(天神)駅と駅名が変更された。なお、1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され、ここにほぼ百年ぶりに「博多」の地名が復活することとなった。 町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡は、ビジネス街・博多と繁華街商業地・福岡(天神)と所を入れ替え、九州最大の都市としてまたアジアの玄関口として、発展を続けている。 664年 前年倭国軍が、白村江(はくすきのえ)にて唐、新羅軍に負け百済が滅亡。その守りとして博多湾岸に防人をおき、水城(現在の大野城市、太宰府市境付近)を築く 1909年 医科大学教授榊保三郎により、日本最古級のアマチュアオーケストラであるフィルハーモニー会設立(現在の九大フィルハーモニー会の前身)。 1936年 雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場、現在の東区雁ノ巣レクレーションセンターのあたり、当時は糟屋郡和白村)が日本初の国際空港として開場。名島水上飛行場(福岡飛行場)は福岡第二飛行場と改名 プロ野球チーム西鉄クリッパース(パシフィック・リーグ)、西日本パイレーツ(セントラル・リーグ)誕生。 4月1日、北九州市に次ぐ九州2番目の政令指定都市となり、中央区・博多区・東区・西区・南区の5区が発足する。 西鉄ライオンズがシーズン終了後、福岡野球株式会社に売却される。太平洋クラブと提携し、球団名は「太平洋クラブライオンズ」となる。 1977年 太平洋クラブライオンズが「クラウンライターライオンズ」に改称(クラウンガスライターとの提携のため)。 クラウンライターライオンズが西武グループに球団を売却、新球団西武ライオンズとして福岡から埼玉県所沢市に移転。 1988年 大阪市を本拠地にしていたプロ野球チーム・南海ホークスが球団売却に伴い福岡市に移転し、「福岡ダイエーホークス」と名称を変更(現・福岡ソフトバンクホークス)。 静岡県藤枝市のJFLサッカーチームである藤枝ブルックスが福岡市に移転。「福岡ブルックス」と名称を変更。 2004年 福岡ダイエーホークスがソフトバンクの球団買収により、「福岡ソフトバンクホークス」となる。 3月20日、玄界灘にてマグニチュード7の福岡県西方沖を震源とする地震が発生。中央区と東区で震度6弱を記録し市内で家屋の損壊や死傷者を出した。特に震源地に近い玄界島では大半の家屋が全半壊するなどの大きな被害を受けたため、多くの住民が島外に避難した。大都市で震度6クラスの地震が起こったのは、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の神戸市で震度6〜7を観測して以来10年ぶり。 1191年(建久2年)、栄西が中国から帰国後に禅宗を布教。その帰国時に茶の種を持ち込み日本で栽培を始めたとされる。 早良郡:西新町・鳥飼村・原村・樋井川村・姪ノ浜村・山門村(のち壱岐村)・残島村・田隈村・金武村・入部村・脇山村・内野村 福岡市の博多湾地域は、古来から、大宰府の外港として日本の外交・貿易の窓口となり、時代が変わっても商人や有力者の本拠地となってきた。自然の良港であるため、悪天候時の船溜まりとしての機能もあったが、壱岐島・対馬伝いでの朝鮮半島南部との国際貿易ルートを結ぶ重要中継貿易港の一つであった。 第二次世界大戦後は全国総合開発計画によって九州全体を管轄する政府の出先機関が集中して、地方行政拠点都市としての道を歩んだ。行政機能が集中するに従って民間の事業所なども集まり、九州を代表する商業・業務都市となっている。 近年は中国や韓国の企業が日本進出の足がかりとして、福岡市へ進出する例も散見される。このような動きを評価して、米国の雑誌ニューズウィーク誌2006年7月号は「世界で最もホットな10都市」に福岡市を選出した。 外食産業のロイヤル、総合スーパーのユニード(ダイエーに吸収合併)、家電小売のベスト電器など、物販やサービスの分野で新しい産業を生み出す土地柄である。しかし一方で、大手企業の九州支社・九州営業所・九州支店に依存する「支店経済都市」としての側面も強い。福岡市内の民営事業所のうち市外に本社を持つ事業所は全体の35%(2001年)を占めて、高い水準にある。 福岡市の産業のうち、第二次産業は市内総生産および事業所数において約10%、従業者数において約12%を占める。いずれも大都市としては低い水準にあり、市内総生産に占める第二次産業の割合は製造品出荷額は小さい(政令指定都市の中では下から2番目)。工業の中心は、都市型工業である食品加工業(食料品・飲料)や出版・印刷業などの情報関連産業が占めている[3]。 福岡市では重工業があまり発達していないため、福岡市内の小学校では5年生を対象に、北九州工業地帯にある工場など(日産自動車苅田工場など)を見学する「北九州見学」という行事が行われている。 福岡市における第三次産業は市内総生産額の約95%、事業者数の約90%、従業者数の約87%を占めている。いずれの割合も政令指定都市としては最も高い水準にあり、大都市の中でも第三次産業のシェアが極めて高い都市であることを示している。特に卸売・小売業とサービス業は、それぞれ市内総生産の約4分の1を占めている。このため商業・サービス業中心の大都市としての色合いが強く出ている。 2011年に博多駅新駅ビルが開業する際、博多井筒屋に替わり阪急百貨店が核テナントになる事が決定している。 日本の他都市と同様、中国人と韓国・朝鮮人で外国人登録者総数の約8割を占める。しかし、近畿圏や広島市・北九州市など、西日本の大都市では韓国・朝鮮人登録者数が外国人登録者総数の半分あるいはそれ以上を占めているのに対して、福岡市では中国人登録者数が韓国・朝鮮人登録者数を上回る。 福岡県警察本部の管轄下、以下に示す警察署がある。カッコ内は管轄区域。交番・駐在所については各区の記事を参照。 番号は各集配局に対応する郵便番号。カッコ内は大まかな管轄区域。なお、日本郵政公社の民営化による事業拠点集約に伴い、福岡都市圏の郵便物の集約・発送の中核拠点として、2007年5月、東区に「新福岡郵便局」(民営化後は郵便事業会社管轄)が開設されることになっている。その際、★印の郵便局は取集事務が廃止され配達のみを行う「配達センター」に、それ以外の郵便局は「統括センター」に、それぞれ移行することになる。 分館として、福岡市東図書館・福岡市和白図書館・福岡市博多図書館・福岡市博多南図書館・福岡市中央図書館・福岡市南図書館・福岡市城南図書館・福岡市早良図書館・福岡市西図書館がある。 地下鉄や西日本鉄道(西鉄電車)をはじめとする鉄道路線も整備されているが、市内交通の主体は西鉄バスをはじめとするバス路線網である。福岡市は地下鉄とバスが事業主体の違いから競合関係となっており、地下鉄と並行するバス路線も多く、相互乗り換えの煩わしさを嫌う利用者からは好評であるが、その反面、都心と郊外を結ぶバス路線に比べて地下鉄接続を主目的としたバス路線の運行本数は概して少ない、乗り継ぎ用ターミナルの未整備、乗り継ぎ運賃制度の不備など、地下鉄とバスの連携性の悪さにもつながっている。福岡市地下鉄七隈線開業の際、西鉄バスが地下鉄乗り継ぎ路線の整備に消極的で、逆に七隈線に対抗する新規路線を運行開始したことで七隈線利用者数の低迷を引き起こしているとの意見もある。また都心でのバス運行本数過剰による道路渋滞も問題視されている。 共通乗車カードとしては、西鉄電車・西鉄バス・地下鉄で共通使用できるよかネットカードとJR九州線・地下鉄で共通使用できるワイワイカードがある。このほか、地下鉄線のみで使えるえふカードと西鉄バス専用のバスカードもある。 鉄道は市内電車として福岡市地下鉄・西鉄・JRがあり、西鉄・JRは郊外電車及び都市間電車としての機能も持つ。ただし西鉄の路線は福岡県内しか走っていない。 西鉄の路線のうち、天神から南へ延びる天神大牟田線は特急・急行電車を頻発しており筑紫地域や福岡県南部(筑後地方)からの利便性が高い。反面、東へ延びる貝塚線は貝塚で地下鉄箱崎線と接続しているものの、相互乗り入れは行っておらず利便性に欠いている。 地下鉄空港線はJR九州筑肥線との直通運転で佐賀県北部の唐津市まで乗り入れており、唐津市から乗り換えなしで天神、福岡空港へ行くことが出来る。 そのほか、北九州市や佐賀市など隣接・近接の自治体へはバス路線が多く存在し、頻繁に運行されていることから、北九州市や佐賀県は通勤圏になっている。 昭和期の急速な都市化に伴い、市の西南部・中南部では唯一の交通機関であった道路網の整備が不十分かつ遅れたため、主要道路の渋滞の激化や生活道路への流入等の交通諸問題は大都市に見られるようなレベルにまで深刻化していた。 以前より課題であった市西南部への交通対策は、前述の地下鉄七隈線に加え、福岡高速道路5号線(都市高速道路)・福岡外環状道路が半分程度の完成・概成をみており、整備も進んでいる。しかし、相変わらず市中南部・南部への道路状況は良いとはいえない。 中南部については、2000年代中ごろに地元有力国会議員の山崎拓にちなんだ地元では「山崎道路」といわれる構想(天神から薬院新川沿いに南下、平尾の小山および鴻巣山山地を2本のトンネルで抜け、寺塚・長住方面に出る)が噂されたが、ルート上にそのような都市計画道路の拡幅決定が現状されているわけでもなく、実現にも相当な長期間を要する。中南部への軌道系交通機関の整備も含め、現状は全て構想段階に止まり、具体化している有効な交通対策は現時点で存在しない。 航空路線・鉄道(新幹線を含む)・高速バス路線・船舶航路が整備されている。航空路線・船舶航路は日本国外へも運航している。長距離航路は立地条件の関係で外海航路のみ。内海航路となる四国・関西・関東方面へのフェリーは北九州港に発着する。博多港からの釜山行きの航路は国際旅客数日本一である。 JR九州では博多駅をハブターミナルとしており、数多くの特急電車を博多駅中心に九州内くまなく運行している。 JR山陽新幹線は、北九州との通勤用として利用されているほか、本州方面への重要な交通路として利用されている。 福岡空港と博多港を合わせた外国人入国者数は、中部国際空港に肉薄しており(2005年)、福岡市は、成田国際空港・関西国際空港・中部国際空港に次いで、外国人に対する日本の第四の玄関口となっている[4]。 利用者数・発着数増に対して設備拡張や運用の工夫を行った(第2ターミナルの建て替え、国際線地区を滑走路西側に移転し第3ターミナルを到着専用化、滑走路34へILSを設置、東方からの到着便に短距離の飛行ルートを設定など)が、滑走路が1本であるということは改善されていない。「アジアの玄関口」「九州一の都市の空港」として旅客数・発着回数とも2000年ごろまで増加を続け、以降2005年まではほぼ横ばいとなっている。九州地方の空港では、路線数・便数ともに抜きん出ている。一方で、市街地に近く東区箱崎の九州大学の真上を飛行する点から騒音問題や安全面で不安視されている。 福岡市地下鉄空港線福岡空港駅から博多駅・天神に地下鉄で1本、数分で着く。また、北部九州の他地域からの直通バスが多く運行されている。 将来の需要動向やそれへの対応策について、2005年からパブリックインボルブメントをおこなって将来像を検討している。2008年現在、将来需要は現在の空港の能力を超えるという試算のもとに、新福岡空港建設、新北九州空港や佐賀空港との連携、現在地での拡張の三案が提案されている。 福岡市交通局は発足当初より地下鉄専業であり、元来福岡市に於いて市営バスは存在していない。市内の大部分は西鉄バスによる運行である。乗降方式は後乗り前降りで、原則として整理券方式の区間運賃制である(ただし市中心部に100円均一区間が存在する)。 ※●は西鉄天神バスセンターのみで乗車可。◎は博多駅交通センターのみで乗車可。●◎どちらもないものは博多駅・天神の双方で乗車可。 福岡市タクシー協会の下、第一交通産業グループ、西鉄タクシーグループ、西日本自動車、はかたタクシー、福岡昭和タクシー、ラッキータクシーなど、市内で約80社が営業している。営業は流しによる営業が主である。また福岡都市圏各市町村(宗像市・福津市を除く)のタクシー事業者は福岡市内での営業が認められており、これらを合わせると実質約100社、6,000台のタクシーが福岡市内で営業している。なお逆に、福岡市内のタクシーが上記の福岡都市圏各市町村で営業することもできる。個人タクシーは福岡都市圏の登録タクシー台数の約3割を占めており、登録台数に占める割合としては全国的に見ても高水準にある。 福岡市では、市内を流す一般のタクシーは基本的には小型車(乗客4人まで乗車可)のみで、中型車(乗客5人乗車可)は博多駅や福岡空港にある専用乗り場もしくは電話予約に限られる。 特定重要港湾。「博多港」とは福岡市内の各港湾の総称で、実際には中央埠頭や博多埠頭など、市内各所に分散している。 九州交響楽団 社団法人日本オーケストラ連盟の正会員であるプロオーケストラ(九州で唯一)。中央区天神のアクロス福岡シンフォニーホールで定期演奏会を年間8回開催 福岡アジア文化賞 アジア太平洋博覧会(よかトピア)を記念して1990年に始まった、アジアの文化の創造と保存に貢献した人物に送られる賞。ムハマド・ユヌスや作家の莫言が受賞している。 本拠地は赤間グローバルアリーナ(宗像市)、準本拠地は東平尾公園博多の森球技場、練習場はサニックス玄海グラウンド(宗像市) 以前JBLスーパーリーグに所属する「福岡レッドファルコンズ」というチームがあったが資金難からリーグ脱退に至った。bjリーグに鞍替えするという噂もあったが諸事情で結局解散。その後、一部の選手が参加して新たなチームが発足してbjリーグに2007年から参戦している。 本拠地は隣の春日市だが、東平尾公園博多の森球技場でも試合を行うほか、同球技場で開催されるアビスパ福岡主催試合では所属選手がボールガールを務める。 実際に福岡市で撮影が行われていないものを含み、福岡市で撮影を行っていても設定上、福岡市が舞台になっていないものは含めない。 下着メーカー錨商事の九州支社が福岡市に設置。支社長に小林桂樹扮する大森専務が赴任。頻繁に当時の板付空港が登場する。 リフレインラブ(実際は福岡市を舞台にしているのではなく、地名や人名に福岡市に実在する地名を用いている。また背景の映像などは福岡市内の風景をモチーフにしている) |