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モダンとは?/ ディック

[ 1743] ポストモダン - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3

構造主義によって提起された、高度に自己完結的なものとして把握され、人間理解の基礎的な枠組みとして汎用的かつ実体的に前提される近代的な「主体」概念への批判(潜在的な構造的規定要因によって主体そのものやその判断、およびその可能な選択肢が構成、あるいは少なくとも制約されているのであって、近代的な個や主体を思想の前提として素朴に一次的で自立的なものとして実体視することはできない、という議論。フランス思想の文脈では主として実存主義の、自由を不条理にも絶対的に運命づけられた主体、という発想を批判対象とした)を受け継いで、個を基盤とし、進歩を前提とし、自然を客体的に対象化し、抽象的な体系性・合理性を重視する、といった一連の近代の特徴を批判した。
このそれ自体はプロパーな科学の領域にあった構造主義を哲学や思想が継承した経緯をさして、アナロジー(類推)で一部借用したにすぎない、との批判がなされた。様々な主張があり一概に語ることは出来ない。
ポストモダニズムとは必ずしもイコールではないが、構造主義以後に構造主義を批判しつつ継承して出てきた思想傾向をポスト構造主義と呼ぶ。
リオタールは『ポストモダンの条件』を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。
「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。例えばマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。
"ポストモダニスト"と言っても、人が自らを指して"ポストモダニスト"だ、と言っているのではないことに深く注意する必要がある。あくまで一部の評論家が勝手に"ポストモダニスト"と形容しただけのことである。
ランシエール、バディウ、バリバール等を中心とする、アルチュセールに強く影響を受けたアルチュセリアン。
フーコー、アガンベン、バトラー等の、生政治の歴史的展開の研究や、クィア理論、ジェンダーから現代批判を行なうフカルディアン(アガンベンはそこまでいかないが)。
他にロラン・バルトやバフチンらを経由しているクリステヴァ、ラカンの影響下にあるジジェク、ネオプラグマティズムのローティ、メディアに対する鋭い批判をなげかけるボードリヤール等がいる。
この人々のなかで自らの概念として「ポストモダン」を引き受けたのはリオタールだけである。フーコーやドゥルーズなどは、この言葉に強い嫌悪を表明した。
社会学では、ポストモダン哲学の影響を強く受け、従来の部分/全体の二元論的発想、近代的自我に根ざした社会分析を離れつつも、難渋かつ抽象的な哲学論議に深入りすることなく、「主体の脱中心化」のテーマに則った経験的記述の方法論が彫琢されている。
代表的には、「アクターネットワーク理論」のブルーノ・ラトゥール、「移動と場所の社会学」のジョン・アーリ、「非表象論」のナイジェル・スリフト、そして、レジス・ドブレに始まるメディオロジーを挙げることができる。
建築においては、装飾を排し(禁欲的な四角い箱)機能主義に基づくモダニズム建築に対する反動として現れた、多様性、装飾性、折衷性、過剰性などを特徴とする建築のこと。1980年代はポスト・モダンの時代であると盛んにいわれた。以降、顕著な特徴となった。一般に、現代人が外見的に見て特殊な印象をうけるその時代建築物は、ポスト・モダンの影響をうけた建物のことが多い。当初、「ポスト・モダニズム」という言葉も使われたが、のちに「ポスト・モダン」が定着した。
一時期流行した言葉であるが、現在では余り用いられない。近代建築の合理的画一性や単調さに見られる反省や批判からおこった建築スタイルではあるが、あまりの過剰性・奇異性などのあおりを受けて次の時代への可能性に至らず、単に模索の範囲に留まった一過的な建築表現として片付けられようとしている。一部には近代直前のアール・デコやアール・ヌーボー様式などの装飾性への参照も見られたり、あるいは脱構築主義建築のように破壊的な挑戦もあるが、建築の商業的ファッション性やセンセーショナリズムの枠の中だけに留められ、外観や内装の表面的な部分だけが情報化の渦に飲み込まれてしまっている。(ポストモダン建築を参照)
ポスト・モダンのデザインには、イタリアのデザイン集団「メンフィス」(Memphis)がある。デザイナーのエットレ・ソットサスを中心に1981年に結成され、当初はミケーレ・デ・ルッキらイタリア人で構成され、後にインターナショナルになった。独自の形態、明るい色彩に特徴があり家具・生活用品などにその無国籍なデザインと才能が評価され、世界的に知名度が高まった。好景気に沸いた1980年代の東京には世界中からポスト・モダンデザインのインテリアや商品、什器や建築物があふれた。
ピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンによって1950年代に推進されたトータル・セリエリズムは、その固定的な作曲法より批判を受け衰退することとなる。その後のポスト・セリエリスムとして主導的な役割を担った作曲家はジェルジ・リゲティ、イアニス・クセナキス、ジョン・ケージが挙げられよう。とくにケージの提唱した諸概念はケージ・ショックと呼ばれるほどの衝撃をもたらすこととなった。
しかし1970年代前後からそれらも技法のマイナー化に拍車がかかり、前衛の停滞と呼ばれる現象を起こす。
前衛の停滞以後に生まれた諸流派、例えば多様式主義、スペクトル楽派、新しい単純性、新しい複雑性、ヴァンデルヴァイザー楽派、ミニマル音楽は全てポスト・モダンと位置付けられる。ポスト前衛と呼ばれることも多い。代表的な例は、フランコ・ドナトーニ、トム・ジョンソン、ヘルムート・ラッヘンマン、近藤譲のような一連のポスト構造主義者である。
しかし、これらの潮流の寿命が押しなべてどれもこれも短く、ポストモダンの脆弱さを浮かび上がらせることとなった。現在ではこれらのポストモダンに関った作曲家ではなく、モダンに関った戦前世代に教えを乞う若手作曲家のほうが強いという、珍現象すら生むに至っている。
ポストモダンの思想家(評論家)は、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズから、非西洋文化圏への強い偏見が残っていると指摘され、批判された。しかし、ポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズも、ポストモダン思想から影響を受けてもいる。
また、物理学者ソーカルによって、ポストモダンを標榜する人々が、衒学的であり(読者が解らないことをいいことにデタラメな数式で根拠づけており)、行き過ぎた相対主義である、として非難された(ソーカル事件参照)。
なお、近年ではヨーロッパを中心に1989年のベルリンの壁崩壊をもって「近代」と「現代」を区分すべきだという議論が存在しており、この論に従った場合にはポストモダンそのものが「近代」の出来事の一つとして扱われてしまうという矛盾が生じてしまうことになる。
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